**札幌開智通信ブログ**
歴史の勉強はとても役に立つ、と思っているのですが、中学校の歴史だと浅すぎて学ぶことが少ないのは確かかもしれない。
中学校の内容だけでは役に立たないと思ってしまうのも仕方ないのかもしれないが、かといって歴史を深く勉強するには表面的なことでも流れを知らないと理解が進まないので、やはり中学時代は暗記中心だが我慢するしかない。
そこはすごくかわいそうではあるが、人生に役立つ科目となるものなので、中学歴史はなんとか耐えてほしい。
以下、好きな世界史の予備校の先生の話。
◆降伏や逃走もOK、最後まで生き残った者が勝ち “目先の勝敗”など「おまけ」のようなもの 神野正史
勝てぬなら、時に白旗も振る!
しかし、こうした「耐忍戦術」すら通用しないほど、圧倒的力の差がある敵の場合にはどうすればよいのでしょうか。
どう足掻(あが)いても勝てそうもない時は、「白旗」を振ることも視野に入れる──。
亡びてしまえばそれまでですが、どんな屈辱を受けようとも最終的に亡びなければいつかは逆転のチャンスも訪れます。永久に強い者など人類史上ひとりとして存在せず、どんなに強い力を持つ者でも時を経ればかならず弱るときがくるのですから、“そのとき”が訪れるのを辛抱強く待つ。
たとえば。
中国の後漢末から三国時代にかけての人物に賈く(かく、147年~223年)という軍師がいました。彼は初め、漢末の群雄のひとり張繍(ちょうしゅう、?年~207年)に仕えていましたが、そこに曹操(155年~220年)が大軍を以て攻め込んできたことがあります。
「曹操の大軍が攻めてくるぞ! 賈くよ、余はどうすればよい?」
狼狽する張繍に、賈くは冷静に答えます。
あの曹操が親征軍(君主や皇帝が自ら率いた軍)を繰り出してくるとなると、これはどう足掻いても勝ち目はありませんなぁ。
「何を他人事みたいに! そこをなんとか勝つ策を考えるのが軍師たるそちの役目であろうが!」
「勝てぬ戦はせぬ」のが最良の策にございます。しかし逃げることも守ることも困難となると、ここはひとつ頭を下げ、媚びを売り、降伏でもなんでもなさいませ。
「なんだと? 一戦も交えぬ前に降伏しろと申すか!?」
左様。ここで意地になって戦えば亡びますが、生き延びさえすれば、敵もかならず隙を見せましょう。その勝機を虎視眈々と待つのです。
こうして賈くはいったん張繍に降伏させ、曹操の油断を誘い、曹操が女に溺れ、軍規が弛みきったところで、夜襲をかけてこれを撃退することに成功しています。
敗けたならば敵が弱るまで待つ
賈くの場合は、戦う前に敗けることを察知し、早い段階で降伏することで好機を待ちましたが、では、最後の決戦に臨んで敗れてしまった場合はどうすればよいでしょうか。
この場合、降伏したときよりさらに状況は苦しくなりますが、やはり「亡びぬ策を講ずる」「敵が弱るまで待つ」という方策は基本的に同じです。
たとえば、日本では、島津氏は「天下分け目の関ヶ原」(1600年)を戦い、そして敗れました。ここで敗れた西軍は、ことごとく処刑・改易(身分を剥奪して所領や城を没収される)・減封となっていきましたが、島津だけは帰国後ただちに白旗を振りつつ、生き残りをかけて徳川との駆引外交に東奔西走し、なんと西軍で唯一、減封すらなく本領安堵を勝ち取りました。
とはいえ。
以降、島津は徳川の幕藩体制の下でこれに睨まれつづける「針のむしろ」状態で、ジッと耐えつづけることになります。“その日”がやってくるまで。
以来250年。
「たった四杯の上喜撰(じょうきせん)」(4隻の黒船)に狼狽する幕府に、全国から志士たちが立ちあがるや、「待ってました!」とばかり倒幕運動の先頭となって立ちあがったのが島津でした。こうして島津は関ヶ原の怨みを果たし、徳川幕府を倒し、明治政府の中枢を担ったのでした。
最後に生き残った者が勝ち
「勝負」というものは、“最終的に生き残った者の勝ち”です。諸行無常の世の中ですから、途中の“一時的な勝利”など、たとえ手に入れたところですぐに掻き消されていきます。そんな“一瞬の勝利”を手に入れるために“永久に亡び”たのでは本末転倒(ほんまつてんとう)です。
にもかかわらず、人はついつい“目先の勝敗”に執着し、ときに命すら賭け、それが手に入らないとわかったとき、自暴自棄になって身を亡ぼしてしまうことも珍しくありません。
しかし。
“目先の勝敗”など本当にどうでもよい、人生を彩る「おまけ」のようなもので、島津氏の例を見てもわかりますように、目先の勝負に何度敗けようが、つねに「生き残ること」に全神経を注いだ者が最終的勝者となります。
勝てるならばよし、勝てそうもなければ生き残るために全力で戦いを避ける。どうしても戦いを避けられなくなったときには逃げる! 逃げきれなければ降伏することすら厭わない。恥をかこうが、顔に泥を塗られようが、生き残って再起・形勢逆転のチャンスを虎視眈々と待つ。
これができる者が“最終的勝者”となることを歴史が教えてくれています。